Gatsby-59

このサイトは、英語で書かれた物語を一作品、最初から最後まで少しずつ読んでみようという試みです。

取り上げる作品は『The Great Gatsby』です。100年近く前に米国で出版された小説ですが、現代の日本人にも共感したり心を動かされるところが多々あると思います。

ぜひ一緒に、英語の原書を読んでみませんか。

(なお、このコンテンツはその著作者の解釈に基づくものであり、必ずしも正しいとは限らないことをご承知おきください。)

 

前回まで……ゴシックの様式の図書室・書庫・読書室にいたメガネをかけてとても大きなフクロウの目のようになったでっぷりした肥満した中年の男性が、そこに置いてあった本棚・蔵書の本のすごさについて、たまたま?来合わせた?らしい「自分」とベイカー嬢に、思わず熱く?語った?ようでしたが、反応がいまいちの二人に気をがれたのか?、誰の知り合いで来たのか、みたいな世間話をして別れたようでした……そして「自分」とベイカー嬢の二人はギャッツビーを見つけにまた庭に出たようです……続きをみていきましょう……。

 

原文はOne More Libraryの『The Great Gatsby』を使用します。

第59回の範囲は、37ページ末尾から8行目から38ページ10行目途中まで(There was dancing now 〜から、to uncontrollable laughter. まで)をみていきます。

まず、今回の考えるヒントを上げます。

  • 38ページ7行目 the stiff, tinny drip とはどういうことを言っているのか

 

なお、特に断っていなければ、基本的に次に上げる辞書の訳語や定義・意味に基づいて説明します。

主に使用する辞書

『リーダーズ英和中辞典(第2版)』(野村恵造)(研究社 2017)

『Pocket Oxford English Dictionary (Eleventh Edition)』(Maurice Waite) (Oxford University Press 2013)

『岩波国語辞典(第七版新版)』(西尾実 岩淵悦太郎 水谷静夫)(岩波書店 2017)

 

それでは今回の範囲をみていきましょう。

① There was dancing now on the canvas in the garden; old men pushing young girls backward in eternal graceless circles, superior couples holding each other tortuously, fashionably, and keeping in the corners — and a great number of single girls dancing indiviualistically or relieving the orchestra for a moment of the burden of the banjo or the traps.

「あるものがあった(そこにはあるものがあった)……ある状態だった……踊り・ダンスが……その時……どこの上でかというと……キャンバスの布地だ……どこにあったかというと……(ギャッツビーの邸宅の)庭だ……年齢が高い……男性たちが……押して……年齢が低い・年の若い……女子たちを……後方へ……どのような状態・形態でかというと……果てしない……優雅ゆうがさのない……円・環状の形だ……年長の・優勢な・多数の……男女一組の二人連れが複数……つかみ・支え・抱いて……互いを……曲がりくねった・苦しそうな様子・姿勢で……当世風に・おしゃれに・一流のやり方で……なおかつ・同時に……とどまって・維持して……どこにかというと……角・すみだ――なおかつ・同時に……圧倒的あっとうてき多数の・大勢おおぜいの……独りでいる・男女一組になっていない・男性の連れがいない……女子たちが……体を動かして・ダンスして……個々の・独特のやり方で……そうでなければ・あるいは……解放して・楽にさせて・救って……オーケストラ・管弦楽団を……どれくらいの間かというと、少し・短時間だ……何からかというと、負担・責任だ……何のかというと、バンジョーだ……あるいは……パーカッション楽器だ……」

the canvas は、第49回(32ページ末尾から11行目)や第51回(33ページ末尾から17行目)に出てきた canvas と同じものを指すのではないでしょうか?……またもや?料理が並べてあった?はずのキャンバスの布地の上に上がって?つまりテーブルの上に登って?踊り・ダンスが披露されている状態だった?ということ?でしょうか?……。

keeping in the corners は、superior couples が holding each other tortuously, fashionably しながら同時に、角や隅までくまなく?移動していた?ことを表している?のではないでしょうか?……男女一組になった二人連れが苦しそうな様子・姿勢で互いをつかみ支え抱いて、なおかつ当世風におしゃれに一流のやり方で互いをつかみ支え抱いた状態でいた?のだけれど?そんな様子で動いていたのは狭い範囲ではなく?広い範囲を隅までくまなく?移動していた?と言っている?のではないでしょうか?……。

single は、男性のパートナーがいない、という意味で使われているのではないでしょうか?

前回の最後に、「自分」とベイカー嬢の二人は、ゴシックの様式の図書室・書庫・読書室を出て、そのまま屋外に出た?ようでした……で、庭に出てみると?キャンバルの布地がいてある?テーブルの上に?上がって?踊り・ダンスをしていた?ようです……また ⁉ ……羽目外しまくり ⁉ ……しかも今度は一人や二人じゃない?のでしょうか?……それでも?みんながテーブルの上に上がっていたわけではない?のでしょうが?大勢の来客がみんな?踊り・ダンスにきょうじるようになっていた?……年齢が高い男性たちが年齢が低い・年の若い女子たちを後方へと押して?果てしない優雅さのない円・環状の形になっていた?……どういうことでしょうか?……年齢が高い男性の方が?年齢が低い・年の若い女子たちにせまってでもいた?のでしょうか?……強引なくらいに?踊るようにさそったりしていた?のでしょうか?……それとも単に?年齢が高い男性の方が年齢が低い・年の若い女子たちよりも力関係で言えば上だったから?強い力を持った方が?力の弱い方を押しのける勢いだった?のでしょうか?……その勢いで?大勢の男性と女子たちの連なりが?なんとなく円形?みたいになっていた?のでしょうか?……そうした中で?なのでしょうか?……男女一組になった二人連れが社交ダンスでもしているような格好?なのでしょうか?……はたから見ていると?苦しそうな姿勢で?でも当世風におしゃれに一流のやり方で?かっこよく?踊っている?のでしょうか?……それも、狭い場所を少し動く程度ではなくて?空いている所を隅までくまなく広く大きく?移動しながら踊っている?のではないでしょうか?……同時に?そんなふうに男女一組になってはいない女子がどうやら?大勢いた?ようで、そうした女子たちはそれぞれ自己流で?自らの好きなように?体を動かしてダンスしたり?かと思うと?はたまた?短時間でもバンジョーとかパーカッション楽器の負担からオーケストラ・管弦楽団を解放して楽にさせて救っていた?と……要は、体を動かしていない時間があった?ということでしょうか?……女子たちの動きが止まったから?オーケストラ・管弦楽団のバンジョーとかパーカッション楽器も演奏しなくてもよくなった?ということでは?ないでしょうか?……この①では、ギャッツビーの邸宅で開かれていた宴に集まってきていた大半の?来客が庭で踊って楽しんでいる様子が描かれている?ようです……その踊るにもいろいろあって?……まず、例のキャンバスの布地が敷かれたテーブルの上を舞台に見立てて?その上に上がって?踊る人たちがいた?ようです……他にも?そうしたテーブルの周囲なのか?別の場所や空間なのか?男女一組になって広い範囲を隅までくまなく?踊りながら移動している?いろんなステップを踏んで動いていると自然にそのような大きな動きとかに?なったりする?のでしょうか?……そのステップとか?他にも上半身の動きとか?小難こむずかしそうで?複雑にからったような?それでいてかっこよくおしゃれで?しかも一流?本職のダンサー?みたいな動きまでしていたりする?のでしょうか?……男性が女性をくるくると回転させたり?男性と女性が片手をつないで一直線上に離れたと思ったら次の瞬間にはそれぞれ逆回転しながら顔も体もピタッとくっつく距離まで戻ってきたり?などと男女一組ならではの?さまざまな踊りを楽しんでいた?……一方で?必ずしも男女一組の形には限定されず?女子だけでも自由に?個々人の心のおもむくままに?体を動かしてリズムを取ったりダンスもどき?みたいな一人遊びをそれぞれ楽しんだりしていた?……そうした中で当然?疲れて?休んだり?みたいな女子もいて?そういうときには?オーケストラ・管弦楽団の演奏もお休み?……あくまでも?来客のダンスに合わせての演奏?……特に?バンジョーやパーカッション楽器はダンスには欠かせなかった?のでしょうか?……どうやら?ギャッツビーの邸宅で開かれていた宴では、ダンスと踊りが基本?欠かせない?絶対不可欠な要素?のようでは?ないでしょうか?……まあ、お酒がなければ始まらない?のでしょうが、ダンスと踊りが何よりも大事で?重要?……主役と言ってもいいくらい?……たしか第51回(33ページ末尾から19-13行目)でジプシーらしき女子が踊りだしたところで The partry has begun と表現されていた?ようなので、(お酒の後の)踊りで始まり?踊りに終始する?宴?ということでしょうか?……西洋の人は踊りがよほど好き?なのでしょうか?……まあ、日本人にも古来から盆踊りとかある?……だけど季節物?……西洋の人の踊り・ダンスは日常生活の一部に近い?……でもまあ、日本人も古来からお酒を飲めば歌って踊る?でしょうか?……ただ、テーブルの上に上がる?というのは、いくら西洋でも?ちょっと珍しいのでは?ないでしょうか?……なんとなく行儀ぎょうぎ悪い?感じが?しないでも?ないような?……お上品な宴でそんなことありえるのでしょうか?……やっぱり?ギャッツビーの邸宅で開かれる宴ならでは?……軽くて軽薄でチャラい?からこその行い?所業しょぎょう?でしょうか?……danncing on the canvas とあれば?おっ!ギャッツビーの邸宅で開かれてる宴なら?そうこなくっちゃ ⁉ やっぱり!軽くて軽薄でチャラいね ⁉ ……みたいな?気持ちに?なったり?……ゴシックの様式の図書室・書庫・読書室の威厳いげんに満ちた重々しい異世界いせかい?から、ギャッツビーの邸宅本来の?通常の?軽くて軽薄でチャラいモードに戻った?って感じ?でしょうか?……。

 

② By midnight the hilarity had increased.

「ある時刻が来る前には……それは、午前零時だ……浮かれ騒ぎが……ある状態になっていた……強まった・増進した・一段と進んでいた……」

午前れい時が来る頃にはおまつさわぎが最高潮さいこうちょうに?盛り上がっていた?って感じ?なのでしょうか?……お酒もいっぱい飲んで?ご馳走ちそうもたらふく食べて?腹ごなしもねて?踊り騒いで?って感じ?なのでしょうか?……いかにもギャッツビーの邸宅でもよおされる宴らしい?軽くて軽薄でチャラい騒ぎ方?だったり?するのでしょうか?……どんな来客が来るのも自由なら?どんな騒ぎ方をしようがそれも自由?……あるがまま?なるがまま?自然にまかせて?放ったらかし?……なんだか現実とは思えないような?……現実を忘れて夢見心地ゆめみごこちで過ごせる?……でも現実の実感を確かに感じられる?まさしく夢のような時間?……歓楽かんらくきわみ?って感じ?でしょうか?……過去を忘れ?未来を考えず?今だけを楽しめる?……そりゃあ?誰でも誘われれば来て当然?……いや、誘われなくても?来たくなって当然?……だから?ありとあらゆる人間が引き寄せられる?集まってくる?……まさしく?サンタクロースで道化で神レベル・神並みのせるわざ?……。

 

③ A celebrated tenor had sung in Italian, and a notorious contralto had sung in jazz, and between the numbers people were doing “stunts" all over the garden, while happy, vacuous bursts of laughter rose toward the summer sky.

【One More Library の原書データでは、stunts.(ピリオドあり)となっていますが、Scribner の書籍では、stunts(ピリオドなし)が正しいようなので、訂正しておきます。】

「名高い・高名な……テノールの歌い手が……ある状態だった……それは、歌っていた……何の言語でかというと、イタリア語だ……それから・その後・加えて……悪い意味で有名な・評判が悪い……コントラルトの歌い手が……ある状態だった……それは、歌っていた……どんな調子でかというと……ジャズ(風)だ……加えて・なおかつ……あるものの間に……それは、それらの(テノールの歌い手とコントラルトの歌い手の歌った)曲目・演目だ……人々・その場にいるみんなが……ある状態だった……それは、やっている・行っていることだ……何をかというと「スタント・妙技みょうぎ軽業かるわざ・目立つ派手な芸当」だ……いたるところで……どこのかというと、(ギャッツビーの邸宅の)庭だ……一方で・同時に……愉快な・楽しい……愚かしい・空虚くうきょな……爆発・突発・噴出ふんしゅつが……何のかというと、笑いだ……上がった・生じた・起こった……ある方向に向かって……それは、夏の空だ……」

the numbers は、A celebrated tenor had sung in Italian と a notorious contralto had sung in jazz の二つの曲目・演目を指すのではないでしょうか?

②で宴が最高潮に?盛り上がった?と説明した上で、③で具体的にどんな様子なのかを説明している?ようです……名高い高名こうめいなテノールの歌い手がイタリア語で歌を披露ひろうしたり?評判の悪いコントラルトの歌い手がジャズ(風)で歌ったり?そんな歌の間には?来客みんなが?妙技・軽業・目立つ派手な芸当をやっていた?と……それも、ギャッツビーの邸宅の庭のいたるところで?と……そうやって歌などの余興よきょう?が披露される中?愉快で楽しいけど愚かしい空虚な笑いの爆発・突発・噴出が夏の空の方に向かって上がって生じて起こった?と……なんだか芸達者げいたっしゃ?な人がたくさん?集まってる?……そういう宴だとわかっているからこそ?そういう人たちが集まる?……それこそ、類は友を呼ぶ?……とっても楽しいばっかり?の宴なんでしょうけど、ただ、そうした余興を楽しむ来客の人たちの笑いが vacuous(= showing a lack of thought or intelligence)だ?と作者は表現しているようです……要は、おバカな笑いだ?と……頭が空っぽ?な笑いだ?と……何も考えてない?笑いだ?と……そりゃあ?過去を忘れて未来を気にせず今だけを楽しんでいる?なら当然そうなる?……お気楽で脳天気のうてんきな笑い?ということ?でしょうか?……本人は幸せ?でしょうか?……少なくとも一時的に?そのときだけ?であったとしても?……なんでしょう……小さな子どものあり方に似ている?ような?……子どものうちは?過去にとらわれたりせず?明日のこともさして考えず?目の前の遊びに夢中だったりする?のではないでしょうか?……そうしてみると?ギャッツビーの邸宅で催される軽くて軽薄でチャラい宴は?来客がいわばお気楽きらくな子供時代に戻れる時間?だったり?するのでしょうか?……親が与えてくれた安全な環境に守られて?ただ心のままに好きなように楽しめる?最高に幸せな?時間に?……そうしたこれ以上ない?贅沢ぜいたくな時間を与えてくれるのは?この宴で親代わりになってくれている?ギャッツビー?……いや、もしかしたら?親以上?……だって、サンタクロースで道化で神レベル・神並み?だから……やっぱり?ギャッツビー、すごい?……。

 

④ A pair of stage twins, who turned out to be the girls in yellow, did a baby act in costume, and champagne was served in glasses bigger than finger-bowls.

「二人一組の人たち……何のかというと、舞台・ステージ上で双子だ……その舞台・ステージ上で双子の二人一組の人たちは……後であることだとわかった……それは、ある状態であることだ……何かというと、あの女子たちだ……何を身に着けていたかというと……黄色い衣服・服装だ……行った・役をした……赤んぼ・乳児にゅうじ年少者ねんしょうしゃの……出し物・演目えんもくだ……あるものを身に着けて……それは、衣裳いしょうだ……それから・その後……シャンパンが……ある状態だった……それは、きょうされた・出された……あるものに入れた状態で……それは、グラス・コップだ……(そのグラス・コップは)もっと大きい……何と比べてかというと、食卓に出す指を洗うためのはちだ……」

who は、直前の A pair of stage twins を指して言いかえているのではないでしょうか? そして who turned out to be the girsl in yellow は、A pair of stage twins を説明するために、A pair of stage twins と did a baby act in costume の間に入れてあるのではないでしょうか?(つまり、本来 A pair of stage twins did a baby act in costume となるはずだったのではないでしょうか?) 

the girls in yellow は、第53回(34ペー付末尾から3行目)で出てきた two girls in twin yellow dresses を指すのではないでしょうか?

③で具体的に上げた?らしい余興の他にも?④のようなちょっとした?演劇えんげき?みたいなもの?もあった?のでしょうか?……で、その演劇?でどうやら?赤んぼ・乳児・年少者の役で?出し物・演目を行った?のが、あの例の(似た対の)黄色い衣服・服装を身に着けた二人の女子?だったようです……どうやら?この二人が似た対の黄色い衣服・服装を身に着けていたのは?この出し物で?双子の?赤んぼ・乳児・年少者の役をするためだった?のではないでしょうか?……そうした出し物・演目が上演?された後で?シャンパンが出された?ようです……それも、普通のグラス・コップではなくて?食卓に出す指を洗うための鉢よりも大きいうつわ?のようなグラス・コップ?に入れて?……西洋では?このように?舞台のまくと幕の間にワインとか?アルコールのたぐいが?観客に出される?……日本ではどうなんでしょうか?……お弁当の方が馴染なじみがあったりする?……もちろん、この宴では、本物の?演劇とかではなくて?単なる?素人しろうとの?余興?出し物?でしかない?……だけど、本物の?本格的な?舞台と同じように?幕と幕の間に出されるシャンパンだけ?本物?本格的?……まあ、別に?いいじゃない?って?……そうやって楽しんだって?……お遊びなんだから?……ただ、本物の本格的な舞台では?食卓に出す指を洗うための鉢よりも大きな器のようなグラス・コップに入れてシャンパンを出したりはしないんじゃ?ないでしょうか?……この辺が?ギャッツビーの邸宅で開かれる宴は違う?……なんでしょう……日本だと?お相撲すもうの力士の人なんかが使ったりすることのある巨大なさかずき?とかあったりする?ようですけれど、そういうイメージが近い?でしょうか?……出し物・演目はしょぼい?のに、酒飲む器だけどでかい?本格的どころではない?もっとずっとすごい?……この辺にも?ギャッツビーの邸宅で催される宴の特性?というか特異とくい?な点がうかがわれる?でしょうか?……そして、こういう異様いようなところがそのまま?ギャッツビーの一面を表している?かもしれない?……サンタクロースで道化で神レベル・神並みの一面もあるかもしれないけど?、たいしたことやってない?のに、楽しむことだけ人並ひとなみ以上?みたいな?……第57回と第58回で暗示されていた?らしいギャッツビーの一面は、メガネをかけてとても大きなフクロウの目のようになったでっぷりした肥満した中年の男性だけにしかわからない?らしい真のすごさと本物の価値を備えた人物?らしいものでしたが、今回ギャッツビーの邸宅の通常モード(軽くて軽薄でチャラい)に戻ったら、やってることはしょぼい?のに、享楽きょうらくだけは人の何倍もむさぼる?……なんだか……本来?真の凄さと本物の価値を備えていながら?大した仕事もせず?成果も上げずに?お手軽でお気楽で脳天気な楽しみばかりにうつつをかしている?のでしょうか?……せっかく良いものを持ちながら?今後が楽しみな大きな可能性をめていながら?それをかしていない?活かそうとしていない?それどころからくしていい思いだけしたい?……そうなんでしょうか?……作者はここで、そういうことを暗示しているのでしょうか?……。

 

⑤ The moon had risen higher, and floating in the Sound was a triangle of silver scales, trembling a little to the stiff, tinny drip of the banjoes on the lawn.

「月が……ある状態だった……それは、のぼった・上がった……もっと高く……そして・なおかつ・同時に……かんでいる・ただよっている……どこにかというと、ロングアイランド海峡だ……(そのようにロングアイランド海峡に浮かんで漂っている)ある状態だった(のは)……トライアングル・三角の形だ……何のかというと、シルバー・銀の……てんびん座だ……れている……少し……あるものに合わせて……それは、固い・しんのある……スズ・ブリキ・缶のようなかん高い音の……したたり・しずく・音楽が静かに流れる音だ……何のかというと、バンジョーだ……場所はどこかというと、芝生しばふの上だ……」

higher は、一時間前か二時間前かわかりませんが、とにかく時間が経つ前と比べて、もっと高く、と言っているのではないでしょうか?

floating in the Sound was a triangle of silver scales は、本来 a triangle of silver scales was floating in the Sound となるはずなのが、floating in the Sound を先に出して強調しているのか?あるいは何が floating in the Sound という状態になっているのかを後で明かしているのか?――何かそうした意図から順序が逆にしてあるのではないでしょうか?

trembling しているのは、直前にある a triangle of silver scales ではないでしょうか?

今回の考えるヒントに上げた箇所が出てきました。the stiff tinny drip は、バンジョーの音の様子を drip 雫に例えている?のではないでしょうか?……そして、どんな drip 雫なのかというと、stiff で tinny だと…… stiff は、固いものや様子を表す語のようです……ここでは、しっかりした音の様子?を表している?のではないでしょうか?…… tinny は、tin スズ・ブリキ・缶のようなものを表すようです(tin には安物とかまがいものといったニュアンスもあるようです)……ブリキの缶とか金属のスズとかの音を鳴らしたときにかん高く響く様子に似ている?と言いたい?のではないでしょうか?……そうすると、しっかりとした音で、なおかつかん高く響く音?のようです……そしてそのリズムが?雫がぽたりぽたりと落ちるように一定の間隔かんかくだった?のでしょうか?……バンジョーという楽器はイメージとしてはギターに近い?でしょうか?……でも見た目だけだったら?日本の三味線しゃみせん?に似たところもある?……お酒を飲んで踊り騒ぐ場で伴奏ばんそう楽器によく使われるもの?でしょうか?……①で踊り・ダンスに興じる人が大勢?いたようでしたから、その伴奏をしていた?のではないでしょうか?……③とか④とかの余興も入りつつ?基本は生演奏に合わせた踊り・ダンスで楽しむ?という感じ?でしょうか?……。

真夜中になって?月がそれ以前よりも高い位置に昇っていた?ようです……そして、ロングアイランド海峡に浮かんで漂っているものがあった?ようです……それは何かというと、三角の形をしたシルバー・銀のてんびん座だ?と……星座?ではないでしょうか?……海にうつっている?のでしょうか?……美しい?……幻想的げんそうてき?……そのロングアイランド海峡に浮かんで漂っていた三角の形をしたシルバー・銀のてんびん座は、あるものに合わせて少し揺れていた?ようです……何に合わせていたのか?――それが、芝生の上で生演奏?していたバンジョーの音?のようです……どんな音だったのか?――しっかりとしたかん高く響く音が雫のように?一定の間隔で鳴っていた音?のようです……まあ、本当にバンジョーの音に合わせて揺れていたわけではなくて?見ている人(「自分」?)の目には?まるでバンジョーの音に合わせて揺れているように見えた?ということではないでしょうか?……どうしてロングアイランド海峡に映っていた?らしいてんびん座が揺れていたのでしょうか?……おそらく、ロングアイランド海峡の海面が揺れていた?からではないでしょうか?……美しいですねえ……空には月が?その下にある?海には星影が?……もしかしたら?月明かりで空の星は見えにくかったりした?のでしょうか?……だけど?月明かりが届かない?のか届きにくい?のか海面ならば?星が見えた?というのでしょうか?……なんとまあ……このような光景をごらんになった方が読者の方々の中にいらっしゃるでしょうか?……なかなか生涯しょうがいに一度?見られるかどうか?というぐらいの?美しい光景では?ないでしょうか?……こんな光景を現実に作り物ではなく自然に見られたらすごくないですか?……作者は、このような光景を実際に見たことがあったのでしょうか?……それとも想像の産物?なのでしょうか?……わかりませんが、なんとまあ現実離れした?まるで夢の世界?夢を見ているような心地にならないでしょうか?……ギャッツビーの邸宅で開かれている夢のような?現実離れした?夢見心地になれる?宴を象徴している?のでしょうか?……でも、軽くて軽薄でチャラい宴にはちょっともったいなさすぎる?ような美しすぎる?幻想的な?光景?のような気もしないでも?ないような?……なお、てんびん(天秤)は正義・公平の象徴であり、運命・価値を決定するはかりという意味合いがあるようです……西洋ではさばくという意味合いも表すようです(裁判所を象徴するもののようです)……日本だと、天秤にかける(どちらが良いか比べる)、などと言ったりするでしょうか?……ここで作者が scales を出してきたのは、もしかしたら?何か意味を込めていたり?するかも?しれない?……ただ、ここだけでは?どんな意味を込めているのかはわからない?でしょうか?……三角の形をしたシルバー・銀のてんびん座?ということなので、おそらく?星の数は三つ?……その三つを(目には見えない)線でつなぐと?三角の形になる?ということではないでしょうか?……その星が三つ、小さく揺れていた?……何を暗示しているのか?……どんな意味合いが込められているのか?……先を読んでいけばわかってくる?のかもしれません……。

 

⑥ I was still with Jordan Baker.

「「自分」は……ある状態だった……まだ・なお・そのときも……ある人と一緒にいる状態で……それは、ジョーダン・ベイカー嬢だ……」

美しすぎる?幻想的な?光景を描いた直後に、「自分」はまだなおそのときもベイカー嬢と一緒いっしょにいた?と言っているようです……な〜んだか、ねえ……そんな美しすぎる?幻想的な?光景を前にして?そんな光景の中で?「自分」は、もしかしたら?ずっと会いたいと思っていた?かもしれない?ベイカー嬢と一緒にいた?と……な〜んでしょう……ねえ……そりゃ、よろしいことで……えっ ⁉ そんな言い方はないだろうって?いいじゃないか、別にって?……そうですか……だけど、「自分」、ギャッツビーの邸宅で開かれているこの宴では、徹底的てっていてきに?徹頭徹尾てっとうてつび?自らの欲望のままに?自らにうそをつかず?本音ほんね忠実ちゅうじつに?素直に?動いている?……一緒にいたい?ベイカー嬢と、あくまでも一緒にいる?という姿勢をつらぬいている?ようです……⑤で描かれていた夢のような?光景の中で一緒にいたい人と過ごせたら、どんな気分になるでしょうか?……そりゃもう?ご機嫌きげん?……そんなもんじゃない?……もう文字通り夢見心地?……起きてるんだけど?夢の中?……夢を見ているんじゃなかろうか、なーんて思ったり?しないのでしょうか?……そういえば、ギャッツビーは見つかったのでしょうか?……「自分」とベイカー嬢は第57回と第58回でギャッツビーを見つけようとあちこち動いていた?ようでしたが……どうなったのでしょうか?……。

 

⑦ We were sitting at a table with a man of about my age and a rowdy little girl, who gave way upon the slightest provocation to uncontrollable laughter.

「「自分」とベイカー嬢の二人は……ある状態だった……それは、座っていた……どこにかというと、あるたく・テーブルに……ある人(たち)と一緒に……それは、ある男性だ……どんな男性かというと、およそ・だいたい……「自分」の年齢である……加えて……騒々そうぞうしい……若い・年少の……女子だ……その騒々しい若い・年少の女子は……たまらなくなってあることをした・くずれた・落ちた……あることがあったときに……それは、ほんのごくごくわずかな取るに足らないたいしたことのない微々びびたる軽微けいびなことこの上ない……刺激しげき・挑発・誘発ゆうはつだ……ある状態になった……制御せいぎょできない・抑制よくせいしがたい・手にえない・おさえきれない……笑いだ……」

We は、⑥で「自分」はベイカー嬢とまだ一緒にいた、と言っていたようでしたから、「自分」とベイカー嬢の二人を指すのではないでしょうか?

who は、直前の a rowdy little girl を指して言いかえているのではないでしょうか?

who gave way は、本来 to uncotrollable laughter が続くはずなのが、どんなときに gave way to uncotrollable laughter となるのかを説明するために、その間に upon thne slightest provocation が入れてあるのではないでしょうか?

「自分」とベイカー嬢がそのときどのような状況だったのかを説明している?ようです……また?どこかのテーブルに?座っていた?ようです……そのテーブルには他にも人がいた?ようで、一人は「自分」と年齢が同じくらい?らしい男性で、もう一人は騒々しい若い・年少の女子?だったようです……その騒々しい若い・年少の女子は、ほんのごくごくわずかな取るに足らないたいしたことのない微々たる軽微なことこの上ない刺激・挑発・誘発があったときに、たまらなくなって、制御できない・抑制しがたい・手に負えない・抑えきれない笑いの状態になった・くずれた・落ちた?ようです……お酒が入っているし?しらふなら笑わないようなことでも何を聞かされても何をしても笑う状態になってしまっていた?のでしょうか?……どうやら、「自分」とベイカー嬢の二人だけだったわけではない?ようです……他にも同席者がいた?と……一人の若そうな女子は笑い上戸じょうご?みたいな感じ?でしょうか?……さて、もうひとりの男性は?どうやら「自分」と年齢が同じ?か近そう?なようです……似た対の黄色い衣服・服装を身に着けた二人の女子と三人のマンブル氏と同席したときには、宴を催したこの邸宅の主であるギャッツビーの悪口で盛り上がった?ようでしたが、さて今度はどんな話を?するのでしょうか?……それとも?会話にすらならなかったり?するのか?……どんな展開が待っているのか?……続きは次回みていきたいと思います……。

 

おつかれさまでした。どうでしたか?

宴を催している邸宅の主、ギャッツビーの悪口を言いたい放題?だった似た対の黄色い衣服・服装を身に着けた二人の女子が、赤んぼ・乳児・年少者を演じた出し物をやった?ようでした……もしかしたら?ここにも作者の暗示がある?でしょうか?……この二人の女子を始めとして?みな幼稚ようちじゃないか?と……ギャッツビーの邸宅で開かれている宴に集まっている来客たちは、みな子どもが遊びに興じている様子と変わらないじゃないか?と……ということは?ギャッツビーも子ども?幼稚?だと?……サンタクロースで道化で神レベル・神並みの所業もあるけれど?同時に?幼稚な子どもと変わらない一面もある?と……実は誰にでも理解できるわけではないすごい本を読めたりする素養そよう?能力?だったり持っているのに?、実際の行いはというと?チャラチャラ?遊んでばっかり?遊びにばかり?楽な方に?流れている?流されている?と?……う〜〜〜〜ん……こうなってくると?確かに?ギャッツビーは?付き合う相手を間違えている?かもしれない?……まあ、でも、どんなにすごいものを潜在的せんざいてきに持っていたとしても?実際には遊んでばっかり?とか遊ぶ方にばっかり?意識が向いてたりすると?自然と同じような遊んで楽しむことしか興味がない?みたいな軽くて軽薄でチャラい人ばかりが集まってくることになる?……そうすると?当然?そういう軽くて軽薄でチャラい連中ばかりと付き合うことになる?……だから?やっぱり?本人自身のあり方がすべてを決定づけている?……だからこそ?作者は前回?ギャッツビーは付き合う相手を間違えているのだ?と言おうとしていた?……本来のギャッツビーが?本来のすぐれた能力を?活かす方向に動いていれば?自然と付き合う相手も本来のギャッツビーにふさわしい相手になるのに?と……だから本人自身のあり方が大切になる?……本人がどういう過ごし方をするか、どういうあり方を選ぶか、によって、付き合う相手まで変わってくる?と……酒に馳走のもてなしを受けながら、当のもてなしてくれた主人の悪口を言うような幼稚なクズ?なんかと付き合うことはなくなるのに?と……そんな幼稚なクズの同類になんかなるなよ?ともしかしたら言っている?かもしれない?……お前の悪口言ってるような奴らだぞ?と……作者は、ギャッツビーに幼稚なクズの同類になんか?なってほしくない?……そんな幼稚なクズなんかと付き合ってないで?作者の仲間に?なってほしい?……それが?作者のうったええたいこと?……。

今回の考えるヒントに上げたお題「38ページ7行目 the stiff, tinny drip とはどういうことを言っているのか」ですが……⑤で説明したとおりです。美しい?幻想的な?光景には?人をきつけると同時に?人をまどわす力も持っていたりする?かもしれない?……あまりの美しさに目をうばわれて?危険なものが?あるいは真実が?ありのままの姿が?現実が?目に入らなくなったりする?かもしれない?……美しすぎるのも?美味おいしすぎるのも?危なかったり?するかもしれない?……なんでもほどほどが無難ぶなん?……お酒を飲みすぎても現実がゆがんで見える?かもしれないように?、心の目が目眩めくらましにでもあったりしても?やっぱりありのままの現実をそのまま見ることができなくなったりする?かもしれない?……案外?夢見心地は怖い?……ふわふわ夢見心地に身を任せていたら?ふと気づいたら恐ろしい現実の渦中かちゅうにはまり込んで抜き差しならない事態になったり?抜けられなくなっていた?なんてことも?ありがち?かもしれない?……人間は欲があるからこそ成長できたりもする?かもしれないけれど?あんまり欲が強すぎると?おかしなものに引っかかって?身の破滅はめつまねいたり?なんてことも?ないとはいえない?……でも、魅力的みりょくてきなものには自然に惹かれてしまうのが人間?でしょうか?……やっぱり?ほどほど?が無難?……。

次回は、今回の最後に登場した男性と言葉を交わす?ようです……ぜひまた一緒にみていってください。

 

第60回の範囲は、38ページ10行目途中から38ページ末尾から3行目まで(I was enjoying myself now. 〜から、if he failed to understand. まで)をみていきます。

次回の考えるヒントは……

  • 38ページ末尾から7行目 an unusual party とはどういうことを言っているのか

次回は、この物語で初めて?「自分」が誰にも気を使わないで楽しんでいる姿が見られる?かもしれない?……ぜひまた一緒に確かめてみてください。

 

最後に、物語を読むときに心にとめたいポイントをまとめます。

Point

・どうして作者はその言葉を使用したのか

・それぞれの登場人物に作者はどんな役割を割り当てているのか

・それぞれの登場人物のセリフや物語の展開を通じて作者は何を言おうとしているのか

 

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Posted by preciousgraceful-hm